2010年03月26日
花冷え
我が家の桜はまだ6分咲きです
H氏にいただいた記念樹なのですが
花見て一杯には
かなり冷え込みます
術後の体には
こたえるので
写真でお披露目することにしました。

今朝の花模様です



今日の夜桜です

月もお出ましです。
では~
H氏にいただいた記念樹なのですが
花見て一杯には
かなり冷え込みます
術後の体には
こたえるので
写真でお披露目することにしました。

今朝の花模様です



今日の夜桜です

月もお出ましです。
では~
2010年02月16日
ケ・セラ・セラ・Ⅲ
大学入試の受験勉強も、
合格だけを目指して勉強するのは、明日への準備です。
そうではなくて、
いま現在を楽しく勉強する、そういう勉強ができるはずです。
そしてそういう楽しく勉強をするのが、
今日なすべきことなんです。

ガン患者の場合、
ガンの治療にだけ専念するのは、
明日のために今日を放棄したことになります。
治療をするな!と言っているのではありませんよ。
どうも誤解されそうなので、同じことを繰り返しますが、
治療はしてもいい。しかし、
治療ばかりに一生懸命になるのは、
今日を放棄したことになります。
現代医療はそこのところがおかしくなっています。
患者に、病気の治療に専念させようとします。
そういう治療はまちがっています。

たとえば、生まれながらに目の見えない人がいます。
その人は、目が見えないまま一生懸命に生きているのです。
今日なすべきことを熱心にしている。
それと同じく、ガン患者はガンのまま一生懸命生きるべきです。
ガンの治療をしてもいいが、それは副次的にして、
ガンのままで今日なすべきことをするのです。
それが釈迦の教えです。

そうして、未来に対しては、すべてほとけにおまかせしましょう。
ガンが治るか治らないか、
それはほとけが決めてくださいます。
大学に合格できるかできないか、
それもほとけにおまかせします。
わたしたちは、今日を楽しく生きればいいのです。
・・・・あまり未来を思い悩まず、現在をしっかりいきよ!・・・・・
という、釈迦の教えです。
「いい かげん の すすめ 」 著者 ひろ さちや~抜粋
私は、とてもこころが救われました。
あらゆることの責任を、自分に在りとし、責めていたのです。
かつて、
病院での治療は、年老いた母には、さぞつらかった事でしょう。
「死ぬ間際までこんなに苦しい思いをしなくてはならないの?
こんなにしてまで生きたいとは思はない。殺して!」
と私に懇願した事を思い出します。
私は私で、「なんで、そんな事を言って私を苦しめるの・・」と
泣いてしまいました。
でも、一日一日、母のして欲しい事や食べたいもの喜ぶ事を
やってみました。笑顔の母でいて欲しかったし、苦しむ母の
姿はそのまま自分の苦しみでした。
すると、ある時母が「あなた達と会えるのが、嬉しい、もう少し
生きてみようかなと思える。」と微笑んで言ってくれたのです。
うれしくて、涙がとまりませんでした。
「00ちゃん。 げんきでね。」が、母の最後のことばでした。
明日2月17日は享年90歳 母の3回忌です。
会いにいってきます。
では~
合格だけを目指して勉強するのは、明日への準備です。
そうではなくて、
いま現在を楽しく勉強する、そういう勉強ができるはずです。
そしてそういう楽しく勉強をするのが、
今日なすべきことなんです。

ガン患者の場合、
ガンの治療にだけ専念するのは、
明日のために今日を放棄したことになります。
治療をするな!と言っているのではありませんよ。
どうも誤解されそうなので、同じことを繰り返しますが、
治療はしてもいい。しかし、
治療ばかりに一生懸命になるのは、
今日を放棄したことになります。
現代医療はそこのところがおかしくなっています。
患者に、病気の治療に専念させようとします。
そういう治療はまちがっています。

たとえば、生まれながらに目の見えない人がいます。
その人は、目が見えないまま一生懸命に生きているのです。
今日なすべきことを熱心にしている。
それと同じく、ガン患者はガンのまま一生懸命生きるべきです。
ガンの治療をしてもいいが、それは副次的にして、
ガンのままで今日なすべきことをするのです。
それが釈迦の教えです。

そうして、未来に対しては、すべてほとけにおまかせしましょう。
ガンが治るか治らないか、
それはほとけが決めてくださいます。
大学に合格できるかできないか、
それもほとけにおまかせします。
わたしたちは、今日を楽しく生きればいいのです。
・・・・あまり未来を思い悩まず、現在をしっかりいきよ!・・・・・
という、釈迦の教えです。
「いい かげん の すすめ 」 著者 ひろ さちや~抜粋
私は、とてもこころが救われました。
あらゆることの責任を、自分に在りとし、責めていたのです。
かつて、
病院での治療は、年老いた母には、さぞつらかった事でしょう。
「死ぬ間際までこんなに苦しい思いをしなくてはならないの?
こんなにしてまで生きたいとは思はない。殺して!」
と私に懇願した事を思い出します。
私は私で、「なんで、そんな事を言って私を苦しめるの・・」と
泣いてしまいました。
でも、一日一日、母のして欲しい事や食べたいもの喜ぶ事を
やってみました。笑顔の母でいて欲しかったし、苦しむ母の
姿はそのまま自分の苦しみでした。
すると、ある時母が「あなた達と会えるのが、嬉しい、もう少し
生きてみようかなと思える。」と微笑んで言ってくれたのです。
うれしくて、涙がとまりませんでした。
「00ちゃん。 げんきでね。」が、母の最後のことばでした。
明日2月17日は享年90歳 母の3回忌です。
会いにいってきます。
では~
2010年02月16日
ケ・セラ・セラ・Ⅱ
私は悩んだり迷ったりした時は
こんな時、たとえばお釈迦様は
どんなふうに解いていらしゃるのだろうかと
いろんな本を読みます。
とある一冊の本の
一節に心が留まりました。

明日はなるようにしかならないのだから、
くよくよするのはよそう。
あなたがそう思えば、
まあ半分は釈迦のことばを理解しているのです。
でも半分だけです。
あとの半分は、釈迦が言う
「ただ今日なすべきことを熱心になせ」
にあります。それを忘れてもらっては困ります。

では、今日なすべきこととはなんでしょうか・・・・?
それは、明日のための準備ではありません。
金儲けというのは、明日のための準備ですよね。
会社の仕事を一生懸命にするのも、
やはり明日のための準備です。
大学入試のための受験勉強も同じです。
あるいは、ガン患者が治療に励むのも、
明日のための準備です。
しかし、早合点しないでください。
私は、会社の仕事はいっさいするな!
と言っているのではありません。
金儲けをやめよ!と言うのではない。

仕事をしないでいれば、
今日生きることすらできなくなります。
現代社会においては、
お金なしで生きる事はできません。
私が言ってるのは、
明日の準備としての仕事に専念してはいけないということです。
それは今日なすべきことではないからです。
かなり、理屈っぽく解いていますが、ここからが大事なところです。
休憩してから
・・・・・・・続きは次のブログへ
よろしければお越し下さい。・・・・・・
こんな時、たとえばお釈迦様は
どんなふうに解いていらしゃるのだろうかと
いろんな本を読みます。
とある一冊の本の
一節に心が留まりました。

明日はなるようにしかならないのだから、
くよくよするのはよそう。
あなたがそう思えば、
まあ半分は釈迦のことばを理解しているのです。
でも半分だけです。
あとの半分は、釈迦が言う
「ただ今日なすべきことを熱心になせ」
にあります。それを忘れてもらっては困ります。

では、今日なすべきこととはなんでしょうか・・・・?
それは、明日のための準備ではありません。
金儲けというのは、明日のための準備ですよね。
会社の仕事を一生懸命にするのも、
やはり明日のための準備です。
大学入試のための受験勉強も同じです。
あるいは、ガン患者が治療に励むのも、
明日のための準備です。
しかし、早合点しないでください。
私は、会社の仕事はいっさいするな!
と言っているのではありません。
金儲けをやめよ!と言うのではない。

仕事をしないでいれば、
今日生きることすらできなくなります。
現代社会においては、
お金なしで生きる事はできません。
私が言ってるのは、
明日の準備としての仕事に専念してはいけないということです。
それは今日なすべきことではないからです。
かなり、理屈っぽく解いていますが、ここからが大事なところです。
休憩してから
・・・・・・・続きは次のブログへ
よろしければお越し下さい。・・・・・・
2010年02月15日
ケ・セラ・セラ・Ⅰ

「明日はなるようにしかならないのだから、くよくよするのはよそう。」
今日は、朝からの来客でショッキングな事がありました。
私の尊敬するH氏が胃がんで手術をするというのです。
原因は必要以上に考え込む自分の悪い性格が禍いした
ストレスらしいというのです。
親には丈夫な体をいただきながら、自分でこんなになるまで痛めつけてしまったと。
私に言わせれば、人の嫌がることや傷つくようなことは
一切言わない、自分には厳しく戒める強い意志の持ち主なのです。
しばらく、連絡とれないからという報告に訪れたのでした。

そして、周りに心配かけたくないので口外しないようにと。
「神経質な性格で今まで家族にはずいぶん迷惑をかけてきた。
これからは、今日を楽しく生きる」と。
H氏は、日ごろよりとても冷静な性格で
私の一番の相談役をかってくれていました。
「ケ・セラ・セラなるようになるさ~」と
口ずさみながら帰っていきました。

私は日ごろより決して神頼みはしないほうですが、
今回ばかりは、どこか祈願に参って お札をいただこうと思いました。


帰り際に両手をしっかり握って 「手術は必ずうまくいく、
早く 元気で帰ってきてね!」と伝えたのですが。
時間が経つに連れて悲しくなってきました。
ケ・セラ・セラ・・・・・・。