2010年02月16日

ケ・セラ・セラ・Ⅲ

  大学入試の受験勉強も、

  合格だけを目指して勉強するのは、明日への準備です。

   そうではなくて、

  いま現在を楽しく勉強する、そういう勉強ができるはずです。

  そしてそういう楽しく勉強をするのが、

  今日なすべきことなんです。


ケ・セラ・セラ・Ⅲ


  ガン患者の場合、

 ガンの治療にだけ専念するのは、

 明日のために今日を放棄したことになります。

 治療をするな!と言っているのではありませんよ。


 どうも誤解されそうなので、同じことを繰り返しますが、

 治療はしてもいい。しかし、

 治療ばかりに一生懸命になるのは、

 今日を放棄したことになります。

 
 現代医療はそこのところがおかしくなっています。

 患者に、病気の治療に専念させようとします。

 そういう治療はまちがっています。


ケ・セラ・セラ・Ⅲ


 たとえば、生まれながらに目の見えない人がいます。

 その人は、目が見えないまま一生懸命に生きているのです。

 今日なすべきことを熱心にしている。

 
 それと同じく、ガン患者はガンのまま一生懸命生きるべきです。

 ガンの治療をしてもいいが、それは副次的にして、

 ガンのままで今日なすべきことをするのです。

 
 それが釈迦の教えです。



ケ・セラ・セラ・Ⅲ



  そうして、未来に対しては、すべてほとけにおまかせしましょう。

 ガンが治るか治らないか、

 それはほとけが決めてくださいます。


  大学に合格できるかできないか、

 それもほとけにおまかせします。


 わたしたちは、今日を楽しく生きればいいのです。


 ・・・・あまり未来を思い悩まず、現在をしっかりいきよ!・・・・・

   という、釈迦の教えです。


    「いい  かげん の すすめ 」   著者  ひろ さちや~抜粋



 私は、とてもこころが救われました。

 あらゆることの責任を、自分に在りとし、責めていたのです。


 かつて、
 
 病院での治療は、年老いた母には、さぞつらかった事でしょう。

 「死ぬ間際までこんなに苦しい思いをしなくてはならないの?

  こんなにしてまで生きたいとは思はない。殺して!」

  と私に懇願した事を思い出します。

  私は私で、「なんで、そんな事を言って私を苦しめるの・・」と

  泣いてしまいました。

  でも、一日一日、母のして欲しい事や食べたいもの喜ぶ事を
 
  やってみました。笑顔の母でいて欲しかったし、苦しむ母の

  姿はそのまま自分の苦しみでした。

  すると、ある時母が「あなた達と会えるのが、嬉しい、もう少し

  生きてみようかなと思える。」と微笑んで言ってくれたのです。

  うれしくて、涙がとまりませんでした。

  「00ちゃん。 げんきでね。」が、母の最後のことばでした。

  明日2月17日は享年90歳 母の3回忌です。

  会いにいってきます。

  では~

 



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Posted by マリンブルー at 19:03│Comments(0)ケ・セラ・セラ
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